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時は戦国、現在の田丸城跡があるその丘は、かつて玉丸城と呼ばれ、多くの武将たちが悲運の運命をとげた場所である。
1342年、南朝北畠氏と北朝足利氏の戦。1532年、下剋上風潮の高まりによる一揆。そして1580年、ついに織田信長の進攻により田丸城は炎上。
一方、京の都と伊勢を結ぶ初瀬街道、熊野と伊勢を結ぶ熊野街道が落ち合う場所として、また合戦の後は参宮の宿場町として玉城一帯は旺盛を極め、そして400年の歳月が過ぎた。
玉城町は、各時代の遺跡がたくさん発掘されており、歴史の古いまちである。皇大神宮(伊勢神宮内宮)の鎮座と共に神領となり、倭姫命に随行して皇大神宮の祢宜となった荒木田氏により開拓されたと伝えられていまる。このことから町内には神宮の摂社・末社が11もあり、神宮との関わりが深い町であったことが分かります |